Maticの外山 翔君とは、同じ専門学校で、学年は僕がひとつ上。かけ持ちしていたバイト先まで偶然2つとも同じで、翔が後から入ったため「僕を追っかけている翔君です」と冗談交じりに紹介している。
僕たちは設計事務所で模型製作のバイトを通じて親しくなった。朝10時に出勤して、深夜まで1/50スケールや1/100スケールの模型を作り続け、模型が完成すると「明日は来なくてよい」と言われても、「次のプロジェクトの前に、材料の整理や片付けをさせてください」と頼んで事務所に通い続けた。「片付けはひとりでよいけどなぁ」という担当者の言葉を尻目に、僕たちは2人でせっせと棚を作り、材料を整理していた。今思うと、若さゆえの「怖いもの知らず、世間知らず」なアルバイターだった。
卒業後、紆余曲折を経て、僕は陶芸を学ぶために佐賀へ旅立った。さすがに翔も佐賀までは追っかけてくることはなく、バイトでためたお金で「自分探しの旅」に出て、ロンドンに短期留学した。ここからはお互いにそれぞれの道を進むことになった。
翔は、店舗設計や展示会の会場構成などの空間デザインの仕事をする傍ら、積極的に作品制作も行っている。大理石や鉱物、土などの自然素材と、アクリルや樹脂などの素材を組み合わせた作品は、東京都美術館の「イサム・ノグチ発見の道」展やagnès b.でのコラボレーション作品の展示販売、さらにはパリやミラノで行われたエキシビジョン「1000vases」などで高く評価されている。(とはいえ、その評価については本人から聞いたことはない。)
僕から言わせてもらえば、彼の好奇心旺盛な姿勢や独自の視点、そして作るもののユニークさは、昔から変わっていない。少年のような好奇心で、ガラクタのようなものを集めたり、食べたものを日記に書き留めたりする姿を見ていると、彼が日々を本当に楽しんでいることが伝わってくる。
この文章を考えていると、iPhoneに「9年前の今日」の写真が通知された。9年前の今日、翔とフィアンセのマキちゃんは制作途中できる端材を使って変わった箸置きを大量に作っていた。2人とも良い意味で突き抜けていて、結婚式のほとんどを自分たちで手作りしていた。
一昨年は、息子のイト君と家族3人で鹿児島旅行に来てくれた。路線電車をマスターしているイト君は、夜のお絵描き大会を発案し、運営から司会進行まで引き受けてくれたりして、翔の性格をしっかりと受け継いでいた。彼らが鹿児島から帰った後も、最近建てたばかりの新居に植物を植えたりする様子や、なぞなぞや迷路を楽しめるページ、さらには愛犬のテトの様子まで分かる「月間イトテト新聞」が城戸家に毎月届く。初刊発行部数は4部で貴重なものだ。
先日、念願の外山家の新居に泊まらせてもらった。玄関を開けると打ちっぱなしのコンクリートと高い吹き抜け。大きな扉の先には作業スペースが広がり、過去の作品や材料が並んでいる。階段を登ってリビングに上がる途中には書籍スペース。改めてそのセンスに感心しながら一緒に食卓を囲んだ。「デザイナーのつもりで活動してきたんだけど、アーティストだと思われるんだよね」と翔は言った。なるほど、確かにそう思われるのも分かる気がする。
人は芸術作品を理解しようとし、意味を見出そうとするが、芸術行為とは必ずしも意味を持つものではない。ミヒャエル・エンデの『だれでもない庭』にある一文だ。芸術やポエジーは世界を説明するものではなく、世界を表現するものなのだ。それ自体が目的であり、良い詩はそれ自体がよりよき世界の破片である。
外山家、もといMatic一家といると、物づくりの楽しさを再確認し、創作の原点に戻れる気がする。とにかく、世界の欠片をメモして、スケッチして、組み合わせ、問い合わせ、行動し、イメージを形にするのだ。それは人からデザインと呼ばれようとアートと呼ばれようと、よりよき世界の破片なんだと思う。
ONE KILNとMaticで作り上げたそんな破片を、皆さんと共有できることを楽しみにしている。