以前にもお話ししましたが、陶芸は、窯から作品を取り出すまで何が起こるか予測できません。季節によって異なる乾燥時間、釉薬の厚み、そして土の約10%の収縮率が相互に作用し、意図したものとは異なる結果が生じることがあります。「ONE KILN Reproduction」は、制作途中で割れてしまい、使用されることなく残された器たちを再び輝かせるプロジェクトです。この試みは2023年の年末、ash Design & Craft Fairの繁忙期に静かに幕を開けました。その時期に、私たちの取り組みを象徴していると感じた、ある夢の話をInstagramに投稿しました。当時の臨場感をそのままに、投稿内容をご紹介します。
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毎年恒例となっているash Design & Craft Fair。ここ数年、ONE KILNではこの期間のみ工房を開放して展示を行っています。例年、準備がギリギリになってしまうことを案じた妻が、今年は早々に開催までのスケジュール表を作っていました。その表を見てみると、なんと、このコラムは本日中に「準備OK」ということになっています。後ろ髪を引かれながらも、私はベッドに横になりました。
夢の中で、私は友人が幼少期を過ごした家に立っていました。今は空き家となっているその家は、時間が止まったかのように生活の痕跡が残っていました。友人は妙に楽しげに、その部屋の中から何か記念に持ち帰るようにと私に言いました。彼はすでに、干しっぱなしになっているボロボロのTシャツや、泥だらけのリュックを喜々として選んでいました。私は戸惑いながらもキョロキョロと辺りを見渡し、箱に入ったまま履かれていないスニーカーを見つけ、それを持ち帰ることにしました。気がつくと、友人とは別々の船に乗っていて、彼からの手紙を手にしていました。彼らの船には、「古い家の思い出」を持っている必要があったようで、「どこに着くかはわからないけど、またどこかで!」と意気揚々とした言葉で手紙は締めくくられていました。目が覚めると、この夢が今回のイベントとどこかでリンクしているように思い、ミミズの這ったような文字でメモをとりました。
私は、自分たちの手で作り出した陶器を無闇に捨てたくないと願っています。よくある陶芸家のイメージだが、「違うっ」と叫びながら作品を床に叩きつけるようなことはしません。だから、私たちの工房には、ちょっとした形の歪みや釉薬のムラで世に出ることを許されなかった作品たちが、静かに息をひそめています。それらは完璧ではないものの、私にとってはかけがえのない創作活動の一部なのです。かつて、金継ぎ職人の図師さんと交わした話が心に浮かびます。「陶芸家と金継ぎ師は仲間です。壊れた器が美しく修復できることを知れば、もっと気軽に器を使えるようになります。私は、そんな日常のささやかな支えでありたいんです。」そんな中、スタッフのサトミちゃんが図師さんから金継ぎの技術を学び、ONE KILNに新たな風を吹き込んでくれました。彼女は、世に出ることを許されなかった器たちの歪みやユニークな割れにインスピレーションを受け、それらの修復に取り組み始めたのです。
今回の企画で挑戦したいのは、「器の修繕を行う取り組み」ではありません。これまで光を浴びることのなかった陶器たちに新たな価値を見出し、それを日常に還すことなのです。ONE KILNで生まれ、サトミちゃんの手で一つ一つ丁寧に修復された作品たちは、ここから新しい物語を紡いでいくでしょう。そして、金継ぎの美しさや可能性を通じて、「自ら修繕し、大切に使い続ける」という文化を育む架け橋になることを願っています。ユングやフロイトに夢を分析してもらったところで、このコラムの締め切りは待ってくれないのでやめておきますが、夢で私が持ち帰ったスニーカーは、今回の取り組みを象徴していたように感じます。そして、遠く離れた船に乗っているはずの友人との再会を心から信じています。