LIGHT HOUSE
Maticの外山 翔君とは、同じ専門学校で、学年は僕がひとつ上。かけ持ちしていたバイト先まで偶然2つとも同じで、翔が後から入ったため「僕を追っかけている翔君です」と冗談交じりに紹介している。 僕たちは設計事務所で模型製作のバイトを通じて親しくなった。
降灰と掘採
高校卒業後、私は鹿児島から東京のデザイン専門学校に進学しました。高校時代、バスケットボールに夢中だった私は、早くからデザインや美術の基礎を積んだ友人たちに圧倒され、毎日の授業についていくのに必死でした。色濃い学生時代はあっという間で、最終学年の卒業制作では家具デザインを専攻することにしました。
Reproduction
この試みは2023年の年末、ash Design & Craft Fairの繁忙期に静かに幕を開けました。その時期に、私たちの取り組みを象徴していると感じた、ある夢の話をInstagramに投稿しました。当時の臨場感をそのままに、投稿内容をご紹介します。
Jincup
自分の周辺5mを豊かにすることをみんながやれば、必然的に世界中が豊かになるという話を聞いたことがある。僕が陶芸を始めたきっかけは、「自分らしさを見つけたい。」「誰もみたことのない形を作りたい。」といった自己表現のためだった。
Shuo Iwakiri
陶芸というと、人里離れて、ひとり黙々と勤しむものというようなイメージをされがちだが、「ONE KILN」は、鹿児島市の繁華街から車で10分ほどの住宅街にある。僕が陶芸を志したのは24歳の頃、気になる作家に電話をしてみたり、京都の職業訓練校を受けたり、ジタバタと動いたけれど全滅。その未来に閉塞感を感じた。
UpcycleLino × ONE KILN
ジブリの紅の豚に出てくる飛行艇製造会社「ピッコロ社」をご存知だろうか? 面倒見の良いピッコロのおやじさんは、不景気で男たちが出稼ぎでいないため、親戚中の女性を呼び集めて工場を稼働させる。
Ash-Stone
陶芸は、窯から出すまで何があるかわからない。 季節によって変わる生地の収縮や乾燥時間や釉薬の厚み。 土は、焼き上がるまでに各段階で収縮し、焼き上がりの大きさは約10%も小さくなる。窯の中でも、器たちは、過酷な試練を課されているのだ。
Blue Bottle Coffee
ブルーボトルコーヒーとコラボレートしたコーヒーマグ「KAORI(カオリ)」と「AJIWAI(アジワイ)」が発売致しました。
Creating Gallery
工房の隣には古い平屋があります。 今まで自分たちで少しずつ手を入れながら、倉庫や事務所として使っていました。 しかし、水まわりや、天井を抜いたりすることはハードルが高く、ARTONの山口君に依頼して本格的に改装をすることにしました。
Pebble Collaboration
僕が、陶芸を志したとき、修業先に選んだのが有田焼の窯元だった。原型、絵付け、窯焚き等々、様々な工程の中で、その道のプロがいた。工場の中では、ベルトコンベアの上を素焼きの皿が周り、皿板をいっぱい積んだ軽トラが町内を行き交っている。
桜島の火山灰
鹿児島に戻り、陶芸家として独立して最初に作ったのは、白磁のテーブルウェアでした。 型から抜いた素地は外で乾かすんですが、その時に桜島の火山灰が降ると、焼いた際、表面に黒いポツポツが表れてしまうんです。 そんな白磁の大敵である火山灰を釉薬にしてみようと、ある日思い立ちます。 早速、降り積もった灰をホウキで集め、ビニールに詰めて工房に持ち帰りました。 ベースにしたのは、黒や茶色に発色する鉄釉と呼ばれるベーシックな釉薬。 加える火山灰の量や焼く時の温度などを納得がいくまで、色々と試しました。 ASHシリーズにはこの火山灰の釉薬が使われています。スレートグレーに発色した鉄釉の中で、星のように散らばる金属質の煌めく釉薬。 焼く際に内と外との釉薬と干渉し合ったり、窯の中に置く位置によって、個々に色味が変わるのは、工芸的な面白さ。自分好みの風合いを見付けるのも、楽しみの一つです。
THE SUN TO A TABLE
ONE KILNのロゴには、窯から出る「炎」と太陽の「光」の2つの意味があります。 火があるところに人が集まり、その一番大きな場所が、太陽の下なんだという考えです。
ひとつの窯
私たちのブランドは2008年、小さなガレージからはじまりました。 車が一台しか入らない小さなスペースに、電気窯をひとつ、どんっと据え付け、 この窯さえあれば、どんなアイディアだって表現できる、誰とだって一緒にものづくりができるはず。 と、すごく嬉しかったのを覚えています。